緊急声明「福本潤一の欺瞞を指弾する!」
   創価学会学術部有志


公明党比例代表区選出の参議院議員・福本潤一氏は、公明党から次期参議院選挙公認候補を体力的理由により勇退したにもかかわらず、突然、党の“体質”を批判して一方的に離党を宣言し、除名処分となりました。さらに、6月25日に発売した『週刊現代』(7月7日号)においても、同氏のインタビュー記事が掲載され、これまでの支持者に強い怒りと深い失望感を与えています。
私たち学術部有志は、元創価学会学術部員である同氏の変節、ならびに誌上における欺瞞に満ちた言辞を、到底看過することができません。強い抗議とともに、以下7点にわたり指弾していきます。

@悪意に満ちた虚偽見出し

『週刊現代』インタビュー記事の見出しは「私は池田大作に東大の名誉教授にさせるよう命じられた」というものだが、これでは「池田名誉会長が福本氏に命じた」という意味になるのは、現代日本語文法論の定説(※)を引くまでもなく、日本語話者なら誰でも疑いのないところだ。しかし、本文では「地域幹部から依頼された」とのことである。それなら「私は地域幹部池田名誉会長東大の名誉教授にさせるよう依頼された」とすべきである。両者は全く意味が異なるのだから、これは誇大見出しを通り越して虚偽見出しと言うべきである。池田名誉会長に対する悪意に満ちており、失礼千万というほかない。しかも見出しの「命じられた」と本文の「依頼された」も大きく意味が異なる。これも支配関係を演出したい意図を表している。
(※=使役文においてニ格の人物名詞句が使役主を表すとされている)

A自分をどれほど大物だと思っているのか?

実際にだれがどのような依頼をしたのか、私たちには知る由もないが、そもそも東大教授でもなく、ただ東大を卒業したというだけの一議員に過ぎない同氏に東大名誉教授を選出したり推薦したりする権限などないことぐらい明々白々である。しかも、神崎前代表をはじめ東大出身の公明党有力幹部は他にもいくらでもいる。さらに言えば、現役東大教授の中にもわが創価学会学術部員も相当数いる。万が一にもそうした趣旨の依頼をすることがあったとしても同氏に依頼する必然性はない。むしろ自分を、そんな依頼を受けるほど「東大に顔が利く大物」だとでも印象づけたいのであろうか。
なお、記事では、東大大学院修了して愛媛大学助教授に就任したと書かれているが、実際は愛媛大学に赴任した時点では助手である。刊行前にゲラに目を通しているはずで、見落としたとの言い訳は通用しない。少しでも自分を大きく見せたいのかもしれないが、これは経歴詐称と言うべきものである。

B名誉学術称号の価値がわかっているのか?

そもそも池田名誉会長が世界の諸大学が受けてきた216の名誉学術称号(2007年7月1日現在)は、池田名誉会長自身はもとより創価学会側が要求して授与されたものなど一つもない。そもそも名誉学位は、大学がその見識と存在をかけて選出し、授与するものである。むしろ、誰に名誉学位を授与するかによってその大学が評価されるとまで言われるのだから、誰かの要求に応じて易々と授与するなどということはあり得ない。
北京大学名誉教授、モスクワ大学名誉博士など、216もの世界の大学から池田名誉会長に贈られた名誉学位においても、先方の「授章の辞」で、日中国交正常化や中ソ和解への貢献、トインビー博士との対談に代表される対話運動など、民間人としての平和貢献に対する高い評価が具体的に述べられるのが常である。
日本国内のメディアは、池田名誉会長を公明党の支持母体の指導者としてしか認識していないため、その平和貢献を報道することは公明党への評価につながり、不偏不党の原則から避けていると考えられる。つまり、公明党の存在が池田名誉会長の国内評価を抑制していると言っても過言ではない。ゆえに私たち創価学会員にしてみれば、公明党議員が、池田名誉会長が重ねてきたような平和行動が正当に評価される社会づくりのために努力することは、至極当然であり、むしろなすべきことと思われる。
要は、福本氏は世界の諸大学が評価してきた池田名誉会長の平和への功績に対し全く無知であるうえに、それを評価しようとする人を「崇拝」という言葉で蔑視しているのである。それは、自身の見識のなさをさらけ出しているに過ぎない。

C比例代表議員が離党するなら、いさぎよく議員辞職せよ

 国会議員の離党は最大の反党行為である。まして比例区選出の参議院議員は政党に対する付託によって議席を得ているのであるから、政党の理念や方針に疑義を呈して離党する以上は、自らが批判した政党の議席は即刻返上し、新たな自身の政治理念を提示して国民の信を問い直すべきである。しかるに同氏は除名処分を受けた今も辞職せず、任期を全うしようとしている。これは彼自身の主張に対する大きな矛盾であり、政治家の良心を疑わざるを得ない事実である。

D公明党が“全体主義的”だと、いつ気がついたのか?

 福本氏は、離党発表記者会見で公明党の体質が“全体主義的”であると述べた。しかし、同氏はいつからそのように思っているのだろうか。 同氏は1995年の参院選で新進党から立候補して当選したが、新進党が解党した後の98年には、自らの意思で公明党再結成に参加している。その後、2001年の改選時には公明党公認候補として二期目の当選を果たしている。もし一期目の任期中にそう感じたのであれば、二期目に出なければよかったはずである。二期目当選後であっても“気づいた”時点で言い出すべきである。しかし、本年の参議院選挙への立候補を勇退した途端に、党の体質を批判し始めるなどというのは、いかにも“タイミング”がよすぎる。しかも選挙直前にこのような記事を週刊誌に発表するなどという完全なる反党行為を行うような男が12年間も、公明党の議席に居座っていたとは、支持者を欺く詐欺的行為と言うべきではないか。要は単なる変節漢であり、このように自身の存立基盤を簡単に変えてしまうような人物はどの政党からも信用されないばかりか、社会人として全く信用されないであろう。

E支持者を見下す態度こそ“全体主義的”である

 記事の中でも福本氏は、公明党について「学会に尽くすことが第一義」として「全体主義」と決めつけている。その事例として、四国の学会幹部から墓苑用の土地探しの件で「指示がおりてきた」と述べている。支持者と議員の関係から言えばこれは“指示”ではなく、幅広い人脈と情報を有する議員に対する“相談”、あるいは“協力要請”したと見るのが自然だろう。創価学会員が公明党の支援活動を行う際には、創価学会の利益のための選挙だなどとは全く思っていない。公明党の議員が国益のため、地域益のための政治を行ってくれると信じているからこそ、手弁当で一生懸命支援するのである。その本来の責務を遂行する議員に、時たま学会のことや個人のことで“相談”したとして何が悪いのだろうか。一生懸命支援しているのだから、“相談”くらいさせろと言いたい。
 これではまるで「創価学会は必死になって支援して票だけ出せばよい。当選したあとはいっさい口出しするな。何の相談もするな。放っといてくれ」と言っているようなものである。支持者を選挙のための駒、あるいはもはや、奴隷としか考えていない証左であり、このような人物こそむしろ“全体主義者”と言うべきはないだろうか。

F反学会ジャーナリズムとの“哀れな結託”

 『週刊現代』における福本氏のインタビュー記事は、一言でいうなら公明党を批判する勢力から拾ってもらうことを期待して、信念を捨ててメディアにすがった同氏と、10年間で4割も激減した部数を是が非でも増やしたい一心で、創価学会ネタにすがりついた週刊誌との“哀れな結託”といってよい。そもそも『週刊現代』は1995年9月におきた東村山市の女性市議転落死事件を、あたかも創価学会が関与した「他殺事件」であるかのように報道し、学会側から名誉毀損で提訴され、全面敗訴している。裁判ではデマ騒ぎが厳しく断罪され、賠償命令に加え、謝罪広告の掲載まで命じられている。2003年2月には、同誌発行元の講談社(野間社長)とデマ記事掲載当時の編集長(元木昌彦)が、連名で学会に公式謝罪している。しかし、発行部数を増やすためにはなりふりかまわず反学会ネタに飛びつく体質は今も何ら変わっていない。数年前の謝罪は本心からのものではなかったのかと問いたい。そして、そんな反学会ジャーナリズムに魂を売り、利用されているだけの福本氏は、いったいどこまで落ちぶれたのかと、情けない限りである。

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