1.まえがき
池田SGI会長への全世界からの名誉学術称号授与は、1975年のモスクワ大学名誉博士号に始まり、現在まで170を超えている。一個人に授与された学術称号としては、類例のない全世界からの顕彰であり、人類の歴史に輝く壮挙であると言っても過言ではない。称号の多くは、文学・社会学・教育学、などの分野であるが、池田SGI会長の思想はこれらの分野にとどまることなく、広範囲な分野で注目すべき視点を多く含んでいる。この名誉称号の30周年にあたり、工学的な見地から池田SGI会長の思想の一端を学んで行きたい。
2.工学と環境
人類にとっての大きな課題として、「地球環境」問題が叫ばれてから久しい。工学分野における研究者として、避ける事のできない問題である。工学は科学的真理を実学としての技術へと高め、それを産業へと応用していく学問である。工学の研究成果は産業に生かされ、科学技術文明の構築に寄与してきた。その結果、人類は様々な恩恵を受けてきたが、一方では環境破壊という大きな代償を支払う事となった。いわば地球環境問題の元凶こそ工学であるとの認識も成り立つ。このような認識に立った時、我々は工学者として何を為すべきなのか。
環境問題に関する、工学的アプローチは、1)資源のリサイクル 2)環境負荷の低減 3)未利用エネルギーの開発、の三項目に大別できる。これらの研究について、学術雑誌を見る限りでは、まだまだ研究者の数も少なく、充分な取り組みとは言えない。環境問題への研究資源の投入は非常に少なく、研究者の中に環境問題に取り組む姿勢が定まっていないのではないかと思われる。このような状況の中で、池田SGI会長の提起した「環境としての人間」との視座は、非常に多くの示唆に富んでおり、工学的テーマや方法を考察する上で重要な視点を提起している。
3.「依正不二」と環境
仏法に説かれる「依正不二」の原理は、環境問題に対する視点として注目すべきものである。正報は生命主体としての人間であり、依報はそれを取り巻く環境である。この人間と環境が実は二而不二の関係にあると説くのが、「依正不二」である。まさに現代が直面している「環境問題」を予言するかのごとき仏法の慧眼である。しかし、単に「依正不二」と云う哲学的概念だけでは、観念的な側面だけになってしまい、今一歩踏み込んだ具体論にはなりにくい。この原理を現実的なテーマとして表現したのが「環境としての人間」との視座であり、池田SGI会長ならではの深き洞察力から生み出された言であるといえる。
4.「環境としての人間」
「環境としての人間」との視点は、環境を単なる主体を取り巻く周囲の環境と考えるのではなく、「依正不二」の観点から見るための具体的な方法論であり、人間自体が環境の一部であるとの立場に立ち、主体的に環境との一体性を求めて行く行動原理であると考える。社会のあらゆる分野の研究が、このような視座に立った時、環境問題への取り組みも大きく前進する事であろう。
また現在の日本人は自己中心的な思考が多く、このような社会的通念を変革する事が、環境問題以外でも社会的な諸問題を根本的に解決する手段ともなるであろう。
5.工学の新たな使命
環境問題に関する工学の役割を考えるとき、先に掲げた工学的研究課題についても、従来とは異なったアプローチが可能となる。
1)資源のリサイクル 、については、現在のリサイクルは工業材料としての再利用のみに着目しており、自然環境も含めた大きなループを形成するリサイクルについては、まだまだ研究の余地が残されているように思える。
2)環境負荷の低減、については、現状では機器の高効率化が主要テーマであり、研究成果による大幅な環境負荷低減は望めない場合が多い。現状の研究では、工業製品としての単独の効率を研究する事が中心のため、単なる機器としての高効率化の追求となる。しかし、工業製品やそれを使用する人間も含めた全体が環境であるとの視点から、よりシステマティックな環境負荷低減が研究テーマとして認知されるべきであろう。
3)未利用エネルギーの開発、については、現状でも風力や太陽、地熱などの自然エネルギーの利用が研究されている。化石燃料や核エネルギーに頼らない、新エネルギーの開発こそ急務であるが、。必要電力の増大に供給が追いつけず、核エネルギーに頼らざるを得ないのが現状である。今後、さらなる自然エネルギー利用の推進のためには、人間の都合だけで利用する立場ではなく、一人一人の人間が、「環境としての人間」との視座に立ち、生活スタイルを見直すなど、いわば「自然との対話」が必要であるように思える。
ここでは電気工学を中心に論じたが、私自身も工学者として「環境としての人間」との新たな視座に立ち、今後の研究を進めて行きたいと考えている。