「学者」の看板を捨てた「居酒屋学者」の悲劇
  H.F.

 昨今、「学者」と呼ばれる人は少なくないが、酒の席でよく見かけるのは、妖しげな専門用語を使い、得意げに「言葉遊び」をして、「お前は学者だな!」と呼ばれる「居酒屋学者」である。
 芸能・スポーツ記者が「居酒屋学者」風に、『アントニオ猪木のDNAがA選手に継承された!』という記事(無論アントニオ猪木とA選手には血縁関係がないのでDNAが伝わるはずはないが)を見ても、「言葉遊び」で済まされる。
 「居酒屋学者」なら無責任な「言葉遊び」で済まされるが、仮にも「○○学者」の看板で、専門用語を使って文章を書くときには「言葉遊び」は許されない。「○○学者」の看板は権威がある故に、自ずと節度が求められる。
 ところが最近、「宗教学者」という看板を堂々と掲げ、無責任な「言葉遊び」をする輩が現れた。この自称「宗教学者」は、「週刊新潮5月15日号」で、『「日蓮」というDNAを捨てた「創価学会」の悲劇』という、でたらめな記事を執筆した。いきなりタイトルからでたらめである。日蓮は生涯独身を通したので、彼のDNAなど伝わるわけがない。また、本文でも「居酒屋学者」を極めた文章が、『創価学会は、いわば日蓮の遺伝子組み換えを目指し・・・遺伝子組み換えに対する反対が根強いように、・・・反対勢力がすでに生まれている。』という「言葉遊び」である。遺伝子組み換え生物の安全性に対する議論はあるが、これは異種間に限ることである。同種間での遺伝子組み換えは自然に起こっていることであり、生物の進化と生存に重要な仕組みでさえある。その意味で「比喩」にすらなっていない。このように、「遺伝子」はおろか、「日蓮」に関する知識もでたらめな文章を書いた時点で「宗教学者」の看板を捨てたも同然だ。
 もはや「学者」の看板を捨てた「居酒屋学者」の仕事場は、裁判所公認の最低なデマ雑誌「週刊新潮」しかないのだろう。これこそ悲劇ではあるまいか。

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