またもや新潮社が、メディアの信頼を失墜させる醜態を演じた。 (『聖教新聞』2003年8月4日付 投書欄「声」より)
七月二五日、東京地裁は携帯電話の大手販売会社と同社会長による訴えを認め、新潮社に六六〇万円の支払いを命じたのである。
「週刊新潮」と「フォーカス」の掲載記事に対して「真実と認められない」との判決。この一年ほどで、新潮社に対する司法の鉄槌が下ったのは、私が知るだけでも16件、異常な事態といえる。
一私企業がこれだけ裁判で立て続けに敗訴すれば、社会的信頼はゼロになったと同然で、廃業するか大幅な組織改革を実施しなければ存続できないと考えるのが常識であろう。
しかし、新潮社には改革の兆候が見られない。性懲りもなくデマの再生産をしている。トップが名誉毀損の疑いで書類送検されても経営陣の交代もない。
孔子は「論語」の中で「あやまちて改めざる、これをあやまちという」という有名な言葉を残しているが、過ちを改めようとせず、むしろ「何が悪いんだ」と言わんばかりに、反人権のデマ報道を繰り返す。この累犯性こそが、新潮社が最も糾弾されるべき点であろう。
今の新潮社にはマルティン・ルターの「嘘は雪だるまのようなもので、長く転がせば大きくなる」との言葉がよく当てはまる。
「週刊新潮」のデマ記事の特徴は、匿名のコメントだ。したがって、真実か否かの検証のしようがなく、裏付けがないものだから、裁判になっても明快な説明ができない。説明責任を果たそうとしないから、誰も信頼しない。
私たち青年は、「週刊新潮」に象徴される、人権軽視の“非常識”を、断じて許してはならない。デマ報道を駆逐するまで、徹して“言論の剣”をもって戦っていきたい。