国会議員に全く不適正な「傲慢」福本

伊与田健敏 (創価大学講師)

 国会議員とは、選挙によって選ばれ、国民の負託を受けて、国民のために政治を行う者である。主役は国民であり、国会議員はあくまで国民に対する奉仕者である。それに対して、福本潤一はどうだったのか、週刊誌に掲載された発言を追いながら検証してみたい。
 まず、党に収めた選挙活動費用の自己負担分を彼は「上納金」と言い、いかにもお上(党)に強制されて巻き上げられたかのように語っている。次に、「国会議員は学会幹部よりも下」「議員は学会の使用人」と、反感を込めて述べている。また、党本部における朝の勤行会への参加と座談会参加の報告に対して、「学会は信仰という“縛り”で公明党を“支配”」していると述べている。
 第一に、議員候補が選挙費用を負担することは当たり前のことである。にもかかわらず、福本はそれを「上納金」といい、払わさせられたといっているのだ。つまり、学会員が選挙活動をしてくれるので、公明党の議員候補は選挙費用を一銭も出さなくて済むと思っていたのだろう。ところが、いざ当選してみると、何百万も選挙費用を負担しなくてはならなかった。それをいまだに根に持っている様子が伺われる。
 第二に、福本が当選できたのは、まぎれもなく、学会員からの多大な支援があればこそである。従って、その支援者に対して感謝し奉仕していくことは当然のことである。さらに、学会員は、私利私欲ではなく、国民を幸福にする政治の実現を目指して、公明党の議員候補を信じて支援しているのであるから、なおさらである。
 国会議員は「国民に奉仕する使用人」であるから「国民よりも下」である。そして、学会員も紛れもなく日本国民である。ならば、国会議員は学会幹部を含む全学会員よりも「下」であり「使用人」である。福本は、何を勘違いしているのか。
 第三に、「朝の勤行会がなかば義務化された」と福本は言うが、同時に「その勤行会に1回しか参加しなかった」と告白している。この程度の強制力で、学会からの「支配」といえるのか。そもそも、勤行・唱題と座談会参加は創価学会員の信仰活動の基本であり、党から強制・義務化されようがされまいが関係なく、率先して実践していくべきものである。福本の発言から漂ってくるのは、この信仰活動の基本の実践を疎んじる傲慢な心根である。
 以上の点から、信仰者としての基本の実践が弱く、金銭欲が深く、師匠の恩を忘れ、支援者の恩を忘れ、そして支援者を見下す、このような福本の傲慢な姿が浮かび上がってくる。従って、福本は「国民の負託を受けて、国民のために政治を行う者」であるべき国会議員には全く相応しくない。
 さらには、選挙が差し迫った時期に週刊誌と結託し、今まで支援してくれた多くの支援者を裏切り落胆させる行為を行なった。このような不知恩の輩・福本に対して、糾弾の手を緩めず、断固戦っていく決意である。

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